わたしの旅日記
 
文明の十字路
トルコ・アナトリア大地の旅
2001.8.31〜9.9 10日間
◆報告者:増渕 尚子(真壁町)

暗い中帰りはもっと重くなるであろうと予想しながら、荷物を運ぶ。期待と喜びに心を弾ませながら。
羽田で朝食をとる。定刻より遅れて関西空港へ飛び立つ。乗り継ぎに時間の余裕があるので必要なものほしいものを調達する。いつのまにか雨もあがる。
イラン国境の町
◆8月31日(金)
・12:30トルコにむけてフライト。機内食(2:00)肉・サラダ・パン・チーズ。日本からの食事なので食べられる。
・イスタンブール到着。夜もだいぶ更ける。マルマラホテル(五つ星)高級デパートのような豪華なロビー、シックで上品な客室はひろびろとしてくつろげる。
とっくに12:00pm過ぎてるのになかなか眠れない。いくらか興奮しているのかな、それとも疲れで眠れないのかな。
ホテルの部屋から夜景を眺める
◆9月 1日(土)
・専用車にて市内観光
改めてガイドのセダットさんを紹介してもらう。
・ギュナュドン(おはようございます)トルコで初めて教えてもらったトルコ語。
ガラタ橋では欄干で釣りをする人でいっぱい。左手にガラタ塔が見える。円錐形の屋根の高さは67m。5〜6世紀に建てられたが現在の塔は1338年。城砦の一部だったといわれている。
町の古き時代の景観を損なわないように修復。何百年経っても同じ姿を見せているようだ。
お世話になったガイドのセダットさん
・ブルーモスク
アヤソフィアに対峙するように立つ巨大なイスラム教モスク。1609〜1616年、スルタン・アフ目ット1世によって建造された。優雅なドーム、半ドーム、それに6本のミナレットが美しい調和を見せている。
当時ドームの大きさやミナレットの数、高さはそれを建造するスルタン(王様)の権力の象徴だった。スルタンは「金のミナレットをつくれ」と命じたが、建築家は「6本のミナレット」と聞き間違えた。
ブルーモスク
モスク内部は礼拝以外ではだれでも入ることが出来る。靴を脱いで絨毯の上を進む。巨大なドーム。ステンドグラスが目を見張らせる。そこから差し込む光が、当時の荘厳さを呼び起こす。
その雰囲気に圧倒される。1日5回祈る。ミナレットからコーランが流れる。アヤソフイァは当時1番大きかったので、目前に100年かけて1609年建造した。
ブルーモスク内部
・地下宮殿
歴代スルタンの喉を潤した貯水池。レンガ造りのアーチとドーム、整然と並ぶ柱が宮殿のようだったことから、地下宮殿とよばれるようになった。地下空間を支えている柱は336本あるはずだが、246本しか確認できない。1番奥の2本の柱の下には、大理石で出来たメドウサーの首が1つは逆さまにもう1つは顔を横にしている。ライトアップが幻想的だ。
地下宮殿の柱
・アヤソフイァ
ギリシャ正教の総本山として建造。トプカプ宮殿前にそびえたつ巨大な聖堂。赤い外壁に覆われたこの聖堂こそ歴史の証。2つの宗教のはざまで揺れ動いたイスタンブールを象徴する建物でもある。
ビザンチン帝国時代この聖堂を「大聖堂」と呼んでいた。アヤソフイァとは「神の聖なる知識」という意味。ギリシャ正教からイスラム教へ。ドームの十字架のかわりに  が掲げられ、イスラム教の礼拝に必要な施設が徐々に追加されていった。世界第4位の規模を誇る。北の回廊の「湿ったはしら」は柱の水に触れただけで眼病が治り、女性は子宝が授かる。柱の保護にめぐらした銅板に穴があくほど。
アヤソフィア前広場にて
午後トプカプ宮殿に向う。370年間にわたるオスマン帝国の中心地。金角湾とボスボラス海峡、マルマラ海を一望するイスタンブール第一の丘の上に建つ。1465〜1478年にかけてメフメット2世によって建造。約370年間歴代スルタンの居城、オスマントルコ帝国の中心地として威光を示す。あまりの広大さにまた内部は撮影禁止とあってただただ驚きと感心とで言葉もなし。
オスマン時代の厨房、トプカプの短剣などその豪華さに思わずため息。数えきれないほどの宝石や武具、玉座。これらはほとんど献上品や略奪品。一番の関心ごとは何といっても世界第5位の大きさを誇る、ナポレオンゆかりという伝説もある86カラットのダイヤモンドと、その周囲に49個ものダイヤモンドがあしらわれた「スプーン職人のダイヤモンド」だ
ボスポラス海峡の豪華客船
興奮覚めやらぬまま外に出る。アジア・サイドを眺めながら心地よい風に吹かれる午後のひと時。姦しい声に振り向けば異郷にいることを確認する。
魚市場を訪ねる
pm8:00 空路カイセリに向う。
pm9:00 到着 車に乗ること1時間。少し寝たようだ。外国の匂いと暑さに疲れが増す。
イスタンブール空港にて
◆9月 2日(日)
●カッパドキァにて
朝食をとりカッパドキァに向う。ドライバーのレジョさん、好人物のようとても親切な陽気なおじさんといったかんじ。
カッパドキァの奇景は数百万年前に起きた近隣の火山の大噴火が元になって形成された。火山灰と溶岩が降り積もって出来た凝灰岩は、長い年月をかけてゆっくりと侵食されていった。
堅い溶岩の部分が侵食されずに残り、現在の奇岩が生まれた。本に書かれた通りの様子を眼前にし、改めて自然の偉大さに感じ入る。
カッパドキアを一望する
●カイマクル地下都市
地下8階の巨大な地下都市。アラブ人に迫害されたキリスト教徒たちが隠れ住んでいた。居間・キッチン・教会・集会所・墓など生活に必要なあらゆるものを備え、神に祈りをささげていた。
かがまないと通れないほどの狭いトンネルでつながり所々外気を取り込む通気口も完備。煙突の役割もする。敵の侵入を防ぐ回転扉もある。直径2mほどの円盤状、中心につっかえ棒を入れる穴が開いていて、開閉のとき棒を出し入れする。
地下都市
●ウチヒサル
城塞からギョレメの街が一望できる。その景観は圧倒される。城塞の岩肌の小さい穴は、はとの家とよばれている。

●野外博物館
半世紀前の人々の生活の跡が残る奇岩群。
壊れかけた教会、石造りのミナレット、住居跡、住居に残るすすなど当時の名残を留めている。修道士の隠れ家でもあったため、特徴あるフレスコ画が教会に描かれている。「魚の教会」「ブドウの教会」など。きのこの形に似た妖精の煙突に掘られた穴は、修道士の隠れ家。
◆9月 3日(月)
●カッパドキァ〜ネムルートダウへ
8時間のドライブ。トルコのバックミュージックが否応なく旅を掻き立てる。
車はカイセリの街を通り過ぎる。雄大な眺めが何処までも続く。
ガイドはもちろん私たちの行くところ、多くのトルコ人が流暢に日本語を話す。安心感でほっとする。
レストランでチャイをする。トルコ人はいつ働くのだろうかと思わせるほど、町の通りでチャイを飲んでいる。それも男ばかり。女の人の姿は東に行くほど見当たらない。
(これでは男がかわいそう)という日本の歌はどうなっているの。ミズリーから観光に来たらしい親子4人の家族と写真を撮る。
沿線のドライブインにて
アナトリアは遺跡(ローマ時代)と文明の十字路といわれる。(トルコの人口は日本の2分の1、650万人 面積は2倍)1923年トルコ共和国
70%は農業、東部は放牧、作物は小麦、とうもろこし、ごま、りんご、ぶどう、オレンジなど。杏もよくとれる。川も畑もみんな黄土色。岩石と枯れた草、ぽつんぽつんと松の緑、刈り取られた小麦のあと。
どこまでもどこまでも果てしなく続く茶色。しかし空はトルコブルー。4月頃は花と緑で埋め尽くされるのだろう。

pm2:00 昼食
テラスで食事。豆のスープがおいしい。
えんえんと続く道。あちこちに壊れた家がある。
アナトリアの大地
pm5:00
ネムルート山が左手に赤茶色に見える。右手にユーフラテスのダム。
 
pm5:30 ゼウス・ホテルにチェックイン。
落日が見られるかどうかぎりぎりの線、車は走る。スピードをあげる。山道に入る。日が沈む。早く早く山頂に着かないか(走れメロス)の気持ち。皆無言。
日は沈んでいた。でも明るい。山頂に登る。時間に余裕があれば、目の前に大パノラマが広がり爽快なドライブが楽しめたのだろう。
息を切らして登ったネムルート山は素晴らしかった。残照が美しい。一歩一歩登ってよかった。メソポタミアの満月にも感動した。
ネムルート山の遺跡
◆9月 4日(火)
ネムルートダウよりワン湖へ
am7:15 出発  am8:30 乗船 メソポタミアへいざ出港
一山越すたびに景色も少しずつ変化する。
am7:50 川を渡る。兵隊が10人くらい銃を持って立っている。1時間ほどで向こう岸へ。
粗末といおうかシンプルといおうか、フェリーだが桟橋はシャベルで砂利を敷き、段差をなくして車を乗り上げる。トラック、オートバイ、人が一緒に乗る。考えられない光景。
景色は絶景。さえぎるもの何もなし。
ユーフラテス川を渡る
ロバに乗った子供が行く。てくてくと遠い道を歩く人、ドコヘ行っても男ばかりしか見えない。尖った山。果てしな続く大地。この辺に来ると検問にあう。
シベレキの町(ピスタチオの産地)家の両側に積んだ燃料(牛糞とワラでこね乾かす)。羊が横断する。ヨーグルトはトルコが作り出したものだそうだ。
検問通過。軍隊の往来が目立ち始める。オイルもチェックする。
軍の検問を受ける
昼食(シルブァン)
楊枝がきれいに皿に盛られていた。食べ物と間違えそう。デザートは注文してから買いに行く。なんとものんびりムード。おいしく食べた。
ワンまで200km、城壁(砦)が夕陽に映える。バットマンチャイ川にかかる橋。シルクロードの名残が見られる。山の迫った所では監視所がいたるところにある。
岩と砂、少しばかりの木の生えている山が果てしなく広がる。子供が車にあうたび川で釣った魚を5〜6匹吊る下げて、売る。
バンの城塞
ワン湖の美しさに窓を開けていい気持ちでいた。ところが大失敗。虫に入られてしまった。ワン湖はとても広かった。琵琶湖の4,5倍とか、トルコ随一の大きさを誇る。
湖に浮かぶアタダマル島には10世紀にアルメニア人によって建てられた小さな聖堂がある。夕陽に映えるウラルトウ王国の城跡を見る。(海抜2000m)
だんだん日が落ち黄昏に染まるワン湖の景色。神秘に包まれる。
バン湖に沈みゆく夕陽
◆9月 5日(水)
ワン〜イラン国境の町ドウバヤズットへ
朝のワン湖は空に白い月を見せ穏やかな湖面だった。日本からの観光客に会う。昨夜はここ(ツスバ・ホテル)は満員だったそうだ。
4時間の行程
延々と広がる景色はいつの間にか黄土色から緑色が増してくる。
検問が厳しくなる。ドウバヤズットの町が現れる。ホテルで昼食。検問では拳銃を構える兵隊。国境を越えるトラックがズラリと行列を作る。越えるには2日かかるとか。バスは荷物を調べられている。
遠くイラン国境の山々を望む
●イスハク・バシャ宮殿
クルド族の将軍イスハクが1784年に完成させた宮殿。(100年かけた)
部屋数はハマム・ハレムを含め366室。内部はレリーフで飾られ、セントラル・ヒーティング、水道、下水設備も完備。
周囲を覆う二重の壁は要塞の機能も果たし、冬は暖房の役目もした。ハレムの窓に座る。下から吹き上げる風は気持ちよい涼しさ、見下ろす風景を400人からいた彼女たちは
どんな思いでながめたのだろうか。宮殿の眼下には村が広がり、モスクもあるが今は廃墟と化す。10年前までは、信者が祈りを捧げていた。
ドーバヤジットの町並みを望む
●隕石孔を見る。
国境はバラ線で区切られているのみ。検閲はいよいよ厳しくなる。イラン側での監視小屋では銃を構えているのだろう。カメラはむけないでと言われる。
隕石孔を訪ねる
●ノアの箱舟
アララト山(5115m・3158m)と向き合うようにそれはあった。
険しい山道を車はゆっくりと注意深く登って行く。管理小屋に入って記帳する。たくさんの記帳の中から日本人を見つける。茨城県は私たちだけかな。
土地が船の形に隆起しているので、「ノアの箱船」伝説が生まれたという。夕食まで時間があるのでのんびりする。ドウバヤズットの夕日、アララット山は雲の覆われていた。
しごとを終えた家族が馬車で家路を急ぐ(子供の手綱で)。すべてが絵になる風景だ。シムイル・ホテル泊
ノアの箱舟の跡
◆9月 6日(木)
今日半日でドライバーのレジョさんともお別れだ。いい人だった。
ドウバヤズットからエルズルムへ。
早く目覚める。外へ出て朝日を待つ。アララト山は雲がなく、朝日に照らされぼんやりしてくる。が、すぐに雲がかかり、ひんやりを通り越して肌寒い。
大アララト山と小アララト山
am7:30 出発
平地から谷あいの道に入る。ヤギの通る道が網の目のように山肌を描く。谷へ水飲みに来るのだろう。
この辺りでやっと麦を干す女性に会う。検問
広々した景色が再び現れる。緑の少ない草原で草を食む牛、ヤギ、真っ青な空、雪解けのかわら、切り立つ岩山、点在する家々、くるくると変わる風景をこころに刻む。
家畜市場に出会う。売られる家畜は小さくかたまっている。傍らで商談する男たち。子供は物売りに駆け寄ってくる。
物売りの少年たち
●アルマニアン
イラン鉄道で列車に出会う。蜂蜜を買う。アラス川にかかる橋。(シルクロードに残された)地名エルズルム 1810年チョバンデデの橋
軍隊の練習しているのが見える。ここでは訓練に事欠かないだろう。山あり谷あり広大な土地がある。
ポプラ並木の続く道、気持ち良い。牛、羊の群れが木陰に集まる。
イランへ続く鉄路
●エルズルム
13世紀のトルコを主導していた。神学校が多い。(京都みたいな都市)ベールで顔を隠した老婦が目立つ。やはりチャイをしてゲームでくつろぐ男たち。メンコをしている男の子。
昼食 (ウエルズムハウス) エキゾチックな雰囲気で食べる。

pm4:15 アンカラに着く。pm6:00 フライト イスタンブールへ
・デイバン・ホテル
ピアノ演奏で迎えられる。日本の歌ですっかり悦に入る。皆で歌う。チップでさらに盛り上がる。
民族衣装をまとうレストランの少女
◆9月 7日(金)
トルコ宝石店に案内される。絨毯の解きもそうだったが、ここでもターゲットはお金のある人。
ここから見る景色も素晴らしかった。

●ボルボラス海峡クルージング
貸切でゆっくり見物。チャイを飲みながら行きはヨーロッパ側、帰りはアジア側を見ようとしたが、右顧左べんになる。
貸切のクルージング
●第一ボルポラス大橋(1973年)
アジア大陸とヨーロッパ大陸を結ぶ巨大なつり橋。たもとに建つのはオルタキョイ、ジャーミイ。
●第二ボルポラス大橋(1988年 )
たもとに建つのはアナドル・ヒサル(アナトリア)の要塞)オスマントルコ時代の建造物。対岸にあるのが、ルメリ・ヒサル(ヨーロッパの要塞)
黒海から侵入する外敵から町を守る役割を果たしていた。強い風に吹かれながら一時を楽しむ。
ボスポラス海峡大橋 アジア/欧州を架ける
●民族舞踊ベリーダンスを見ながら夕食
食事をしながらのショーは時の過ぎるのも忘れてしまう。熱気覚めやらぬまま町へと繰り出す。出かけに雨に降られたせいか、夜の街はきれいだった。ライトアップされたモスク、宝石を散りばめたような夜景だった。
荷物まとめも今夜が最後。
魅惑的なベリーダンス
◆9月 8日(土)
いよいよ最後のイスタンブールの朝。
日の出前のイスタンブールは朝焼けで茜色に染まっていた。日が昇るにつれ空の青さが、一筋の白い雲で目に染みる。
am9:30 アジアサイドに渡る。7つの丘のなかで1番高い丘(チャムルジャの丘)の頂上にはベンチやコーヒーショップがあって、旧、新市街が見渡せる。
ボスポラス海峡とイスタンブール
●エジプシャン・バザール
グランド・バザールとくらべるとより庶民的。常に買い物客でにぎわっている。
イニエ・ジャーミーの敷地内にあるバザールは観光客は少ない。
グランバザール内部
魚市場で昼食
期待していたが胃が疲れているせいか日本のアジとは少し違うようだ。
疲れたので早めに飛行場へ
活きのいいサバが並ぶ
時間に余裕があるので十分休む。体調も崩れる頃。フライトまでそれぞれのスタイルで過ごす。
いよいよセダッタさんともお別れ。流暢な日本語があの口から流れたのだと思うと不思議だ。あっさりとした別れだった。
pm6:15 フライト
機上の人となり疲れがどっと出て、しばしまどろむ。
am11:30 成田到着
途中お昼を麺で閉めました。お疲れ様でした。 
参加者の皆様と