わたしの旅日記
 
素晴らしき南アメリカ
ペルー・ボリビア紀行
2005.1.7(金)〜1.18(火) 10泊12日

◆投稿者:増渕 尚子様
出かけるまでに何回荷物の点検をしたことか。いよいよとなると心も高ぶる。ガス電気戸締り等のチェックをして迫りくる時刻を待つ。成田到着、手続きを済ませ若干遅れで17:30フライト。長い時間を窮屈な座席ですごすのは辛いが、これもいたしかたなし。さてさて憧れの南米旅行はどんな旅になるやら。。。
◆1月 7日(金)
あと何時間、あと何時間と時計を見ながらイヤホンから流れるクラシックミュージックを聞く。赤子の泣き声にさぞお母さんは気を使っているだろうと思うと気の毒になる。トロトロ眠っていても泣き声に目が覚める。腰も痛くなる。同行の皆さんとは見事にバラバラの席。おしゃべりもできず心細いことしきり。幸い両隣りは日本人なので救われた。成田では荷物チェックでトランクを開けられたので少々気落ちしている
朝食10:15(日本時間AM1:00)おにぎりカップめん
隣の中年男性に身振り手振りなので機内での会話では大変お世話になった。到着予定PM2:27窓外は明るく青い空がくっきりと右翼を映している。
ヒューストンまであと3時間余。ビデオにサクラメント、オークランドなどの地名が並ぶ。ヨセミテ国立公園の上空を飛んでいるのかな。
時計AM12:00に合わせる。(ここからは現地時間)いよいよ着陸まであと1時間。機内が急にあわただしくなる。
書類を書く人、手回り辺を整理する人。赤子は相変わらず泣き続けているが心なしか泣き声が弱くなっている。着陸前の機内は不気味に静かである。
ヒューストン空港は雨だった。入国に手間取りぎりぎりで乗り継ぐ。
16:05搭乗。駆け足をするが今まで窮屈に足を縮めていたので走ることに快感を覚える。約8時間の飛行。
ヒューストン空港はチェックが厳しく上着は全て脱ぎ靴も脱ぐ。
話には聞いていたけれどまあ驚きである。
16:40離陸し、霧の中を飛ぶ。雲の間に太陽が顔を出す。見事な雲海。
夕食17:00 夕焼けが美しい。雲海はいつのまにか灰色に変わる。
18:10雲海と空とが残照で黒、橙、青のコントラストが見事であった。色が混じりあい行く手はもう暗い。
20:00星が綺麗だった。
PM10:50 ペルーの首都リマに到着。入国手続き後、ホテルチェックインする。
部屋に入り旅装を解く。バスタオルのまま廊下に出て締め出される。とんだ失態。
◆1月 8日(土)
起きたのは6:30.果物がおいしかった。久しぶりの外国食に舌が記憶を呼び覚ます。外出に際して10ドル両替。
今日からたくさん見るぞと意気込む。

11:30リマ市内観光
南米大陸の太平洋沿岸の中心がリマ。チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置する。
年間3ミリ程度の雨量(インカの涙)水はアンデスから流れる水を使っている。旧市街(セントロ)1991年ユネスコ文化遺産登録されている。
碁盤の目状に道路が走る。
町の中心に広場がある(アルマス広場)
リマには中心的な広場がある。(サンマルティン広場)
どこからか沸いてくる人々でいつも賑わっているそうだ。

サンフランシスコ教会修道院を観る。
1546年から100年以上かけて建てられた。教会のほか15のチャペル、カタコンベ、修道院、宗教芸術博物館が過去3回の地震に遭いながらも建立当時のままのものが多い。中庭を囲む回廊に残されたセビリアンタイルは美しい。
かつては200人もの聖職者がいた。
1トン以上もある銀のみこし。晩餐風景の巨大な宗教画ムーア風の天井。
図書館16〜18世紀の本が約2500冊保存されている。
地下にある墓地カタコンベ ぼんやりした裸電球が骨を照らす。なんともぞっとする光景に早く地上に上がりたくなる。
ペルー政庁では毎日12:00に衛兵の交代式が行われる。足をピッと伸ばした独特の歩き方で厳粛に行われるセレモニー。
◆1月 9日(日)
リマからイカへセスナ機で移動する。
ナスカの地上絵を見るために遊覧飛行に乗り換えいよいよ出発。
この大平原に何を思って200にも及ぶ絵を描いたのか。
何を意味しているのか。期待に胸を膨らませる。
眼下にやたら蛇行する川らしき線や三角形の図形が現れる。
「コレコレ、ハネノシタ、サル」というたどたどしい日本語ガイドのアクセントに笑えた。
右へ左へ旋回して案内してくれるがどうも気分が悪い。
宇宙人はよく見えた。しっかり景色をみなくちゃと、でも早く着かないかなと複雑だった。
市内観光は遠慮して飛行場で休息。プールのある木陰で足を伸ばしリラックスする。
心地よい風が頬をなでブーゲンビリアが目を楽しませてくれる。
バナナを食べて元気になった。コンドルがいるというので見に行く。市内見物の代わりか、コンドルはしっかりと大きな羽を広げてくれた。
5:00リマ空港着
7:00夕食 明日はクスコへ移動

部屋からの夕陽が美しい。
◆1月10日(月)
6:20朝食
7:15出発
標高3300mのクスコへ。高山病に注意してゆっくり観光しよう。食事は少なめ水は2〜3?はとった方がよいそうだ。コカ茶を飲む。
10:45クスコ到着
ここを訪れる観光客は第一がアメリカ、次いでドイツ、日本は3番目だそうだ。インカの都クスコ。昔ここはインカ帝国の首都だった。クスコとはケチユア語で「へそ」を意味する。太陽神を崇拝し、彼らにとって宇宙観の中心でもあった。
精巧な石組みはインカ時代のそのままである。インカ道は今も健在。
昼食は味匂いに慣れてきたがほどほどに食べる。
マルコス広場カテドラル、レストラン、土産屋さんに囲まれた観光拠点。ここから見るクスコも美しい。
広場に面するカテドラルは1550年から100年かけて完成したといわれる。
銀300トンも使った祭壇は見事。
ここの人々の60%は観光の仕事をしている。山奥に住む人たちは町に来ることに憧れ何日もかけて徒歩や馬でくるという。
近郊の遺跡を訪ねる。タンボ、マチャイ聖なる泉とよばれ、乾期雨期を通して常に同じ量の水が湧き出ている。
インカ時代の沐浴場だったらしい。しかしどこから流れてくるのかわかっていない。
ケンコー遺跡は石組みではなく岩を削って造ってある。インカ帝国の祭礼場だったといわれている。巨大な石の裏側は半洞窟になっていて、皇帝の座った玉座や生け贄台も残る。
クスコの町で雨がくすぶる。家畜を連れて色鮮やかな衣装をまとった婦人が擦り寄ってくる。クスコをバックにたたずむ彼女は美しい。
サクサワイマンクスコを守る堅固な要塞跡。ここに2万の兵を置きスペイン人の攻撃に備えたが夜は戦わないインカ兵士はその隙を狙われもろくも敗れた。城壁も円塔も大部分壊された。遺跡は3層の巨石が22回のジグザグを描きながら360mにわたって続いている。これを造るのに1日3万人動員して80年かかったといわれる。
広々とした広場では6月24日に太陽の祭りが行われインカの儀式がそのまま復活する。生け贄もあるという。霊感のある石に手を当てて気をもらった。
太陽の神殿コリカンチャ(サントドミンゴ教会)神殿を囲む石組みの素晴らしさに征服者は息を呑んだ。それ以上に金の帯に胸をときめかした。
金のリャマ、金で覆われた太陽の祭壇、黄金にあふれた神殿から彼らはことごとく奪い去った。
黄金がなくなった今も美しい石組みを見て当時の栄華をしのぶ事が出来る。

12角の石かみそりの刃1枚も通さないほどぴったりと張り合わされている石壁12のいわれの1つは王の一族(12人の家族)を象徴、もう1つは1年の月を表しているという。
石畳が美しい。
◆1月11日(火)
いよいよマチュピチュへ
観光列車に乗って3時間の旅。パノラマが楽しめるビスタドーム。列車はゆっくり登る。線路の両脇はゴミで汚れている。
スイッチバックを繰り返し列車はどんどん登って行く。アンデスは曇っていた。
家が近くに見えると屋根に印しがある。聞くところによると牛の像で守り神だという。シーサーみたいなものかな。
小さな畑にそら豆、じゃがいも、とーもろこしなどが植えられている、子の地では重要なユーカリの木が植樹されていた。
7:00朝食 のんびり草を食む牛がいる。草千里の馬を思い出した。菜の花、ひまわりの黄色が悠久の世界にいるような錯覚をおこさせる。遠くの家々、山々の景色にうっとりする。川べりの民家で少女が手を振る。
だいぶ日差しも強くなり空の青さがまぶしい。山間ぎりぎりに列車は走る。巨岩が覆いかぶさるように迫ってくる。
インカの聖なる川ウルバンバ沿いを走る。途中の駅でとうもろこしを食べる。大粒で結構いけた。線路脇で花を売る少女、とてもシャイだ。
マチュピチュの駅に着く。
シャトルバスで山頂へ。くねくねと走るバス。
10:10目の前に突然石の都市が現れる。写真やテレビで見たあの空中都市が。
1911年に発見されるまで静かに眠っていた都はどんなだったのだろう。
400年前のインカ帝国はフランシスコ、ピサロ率いる200にんの征服者により崩壊された。そして彼らの手に届かなかったマチュピチュ(老いた峰)に今たどり着く。
遺跡の入口から階段を登つめ、墓地から眺める。ここからの眺めが最高だとか。まさに写真で見るマチュピチュがあった。段々畑も圧倒される。
陵墓、太陽の神殿どれも厳かな佇まい。
インティワタナ、マチュピチュの最高点にいくと高さ1.8メートルの日時計がある。各角は東西南北を指している。
見晴らしがよく眺めは絶景。眼下のウルバンバ川は糸のように細く左側の急斜面には段々畑がある。
1911年発見者のビンガムはこの斜面から登った。旅行者が石のエネルギーを感じようと手を当てる。
市街地の入口はインカでよく見かける門。いろいろな仕掛けがあり侵入を防いだようだ。真意は不明。貴族の居住地、技術者、庶民の居住地が並ぶ。推定人口は1万人がいたとされる。コンドルの神殿があり半地下は牢獄だったとされる。
インカ帝国では<怠けない・盗まない・だまさない>の掟があり破った者には重い刑が待っていた。

帰りのバスでカーブを切るとそこに民族衣装の少年が叫んでいる。「グッバーイ!」またカーブに差し掛かる頃あの少年が現れ「グッバーイ!」である。
それを何回繰り返したことか、とうとうバスより早く下りる。汗でびっしょり。みんなの拍手を受ける。さすがに1日2回までしかできないらしい。
列車の中では旅行者を飽きさせないためか鉄道職員の若いカップルが一転してファッションモデルになり車内を歩き出す。
次々に衣装を替える。服は全て売り物、うまく宣伝している。シャイな彼らに好感が持てる。
夕食は外で。フォルクローレの音楽を聴きながらリッチにすごす。素敵な音色に心を奪われる。
車窓からのクスコの夜景が美しい。
つづく→