わたしの山日記
 
台湾最高峰 玉山(3952M) 登頂
2007.4.23(月)〜4.27(金) 5日間

◆投稿者:高浜 邦彦様
太平洋戦争、真珠湾奇襲攻撃の突撃命令暗号文”新高山登れ”で良く知られている、台湾の「玉山」に登ることになった。旧日本としては最高峰3952M(3997Mともいわれている)であり何となく登ってみたい気持ちになったのである。巷の男達が”台湾はイイぞ”と言っているからではない。
◆ 4月 23日(月)
4/23(第一日目)
曇りがちの台北桃園空港に到着したのは、約3時間後の午後1時頃であった。空港から専用バスで、台湾のほぼ中央の「嘉義」経由で阿里山近くの、宿泊地「阿里山閣大飯店」まで、約6時間の長旅であった。
しかし、現地のガイド陳学而さんの豊富な知識と、面白い話で退屈しなかった。説明を聞きながら外を見ると、台中に近づくにつれ、景色はビロウ椰子とバナナの木一色であった。この椰子の実は、興奮剤的な効果があり、トラックの運転手さんがよく食べるそうだが、粕を吐き出したとき、真っ赤になっているところを外国人が見て、”台湾の人は血を吐くまで働いている”と言ったとか・・・阿里山近くの山道では、菅笠を被った女性達が何台ものトラックに乗っているのに出会った。この辺りは茶畑が多いとのこと。茶摘の女性達だ。
暗くなってやっとホテルに到着。夕食は山菜料理だ。次から次へと料理が出てきてゆっくり食べている暇が無い。どれも美味しかったが食べ切れなくて残ってしまった。
明日から愈々山に入る。夜来の雷雨で天気が心配であったが、いつの間にか寝入ってしまった。
◆ 4月 24日(火)
4/24(第二日目)
朝6時、天気は良い。皆、外で話をしている。さすがに年配者は早い。6時半から朝食、お粥が美味しい。
早々にバスに乗り込み登山口まで行く。山岳協会で、パスポートのチェックと玉山の立体映像を見る。登山口のタタカ鞍部までバスで送ってもらう。玉山の案内碑で証拠写真を撮り、愈々山歩きだ!!
登山道が万里の長城のように曲がりくねって見える。大きな山脈だ。南アルプスの様態か。山のあちこちに白い花が咲いている。大きな石楠花だ。鉄杉(米栂)という大きな木も多い。行きかう人々は何故か若い人が多い。日本のように中高年は少ない。”ニイハオ” ”シェイシェイ”を連発しながら挨拶を交わす。
登山者が残した数十キロの残廃物を担った強力のような人には”チャーユ、チャーユ(がんばれ)”と励ます。どこもゴミ処理は大変だ。

左写真:沿道を彩るシャクナゲの巨木は見事!
右写真:コンビニで買った初日の行動食(寿司でした)
山道はプレート運動の影響からか、岩は断層、節理などで煎餅のように薄く、ポロポロと取れてしまう。火山ではないので、噴出した大きな岩石は無い。
約6時間後、海抜3400Mの拝雲山荘に着く。急な道ではなかったが、久しぶりに長時間歩いたので、足が少しだるい。山小屋では若い台湾の女性達がコーラスなどやり、なんとなく気分が和らぐ。日本ではあまり経験しない事だ。
夕食は、台中の途中で乗り込んだ山のガイド施(シー)さんが手早くカレー、味噌汁、野菜料理、ウインナーソーセージ、その他数多くの料理を作ってくれた。山小屋でこんなに沢山食べたことは殆ど無い。食後は、日本から持参した酒類を飲もうと思ったが、高所ではあまり良くないとのことで、チョット舐めて終わりにした。夜は意外と暖かかった。
◆4月 25日(水)
4/25(第三日目)
朝3時半、山荘を出発。霧か小雨か?完全武装で歩き始める。森林帯を抜けると、ザレ場で風も強くなる。
2時間チョットで玉山頂上に着く。生憎の霧で視界はなかったが玉山の碑を見て、”来たな!”という感じだ。

”我登頂に成功せり。トラトラトラ”
すぐに下山し、拝雲山荘で朝食を摂り(ここでも美味しかった)タタカ鞍部まで一気に下る。
そしてバスで再び台北市内の宿泊ホテル「山水閣大飯店」まで向かった。
夕食は「丸林レストラン」にて台湾料理で舌鼓を打つ。
明日からは歴史の勉強だ。夜、予習に野(夜)外活動をしてみたが、屋台のある街通りを発見して、現地人の食欲旺盛なのに、びっくりしただけだった。
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